林由郎

6. 林由郎〜戦後のゴルフ界を牽引  
 

林由郎

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戦後のゴルフ界を牽引した人物、それは現在でも多数のプロたちに素晴らしい指導をされている、林由郎(はやしよしろう)プロです。

林由郎プロは1922年(大正11年)千葉県・我孫子生まれ。
我孫子、でピンときた方は鋭い。そう、"我孫子のサンドで育った"あの世界のAOKIこと青木功プロを始め、ゴルフ界に様々な金字塔を打ち立ててきた尾崎将司プロ、まだバリバリの現役として活躍中の尾崎直道プロ、米シニアツアーで活躍中の飯合肇プロ、豪快な飛距離で活躍する福島晃子プロと賞金王を取った弟子が5人もおられます。

戦前はプロになりながらもプロらしい活動をせぬまま、戦争になり、プロとしてのトーナメント実績は全くのゼロでした。

実質のプロデビューは戦後の混乱期真っ只中の1948年(昭和23年)の関東プロ。
この関東プロは当時まだ接収状態であった東京ゴルフ倶楽部で、アメリカ軍にコースの使用を頼み込んで開催された大会でした。

このデビュー戦でいきなり優勝、その後1949年の日本プロ、1950年の日本オープン、日本プロを立て続けに制し、「林由郎」時代を築き上げました。

戦争中は馬の蹄鉄作りが仕事。要領のよさもあってその技術は高く、戦況が悪くなる中、仲間の蹄鉄工務兵が次々とスマトラ島に出征していきます。しかし林由郎プロは「林二等兵、貴様は蹄鉄づくり優秀につき、内地に残れ」と命令され、命拾いをされています。当時スマトラ島に出征した方々はほとんど戦地で命を落とされておられるそうです。

「運」。何度も林由郎プロは当時のことを思い返しては「運」を口にされるそうです。

戦後初めてのアメリカ遠征(1952年)にも参加、結果はふるいませんでしたが、「160センチという小さな体の林のドライバーが良く飛ぶ」というので現地では評判になりました。
当時で306ヤードをワンオンさせたということですから、今でいう350〜370ヤード。タイガーがフルスイングして同等の飛距離、といえばそのすごさがお分かり頂けると思います。

独特のフォームからのショット。
アマチュアゴルファーには是非見習ってもらいたいクラブの動きをします。
「ナイスショットを打ちたかったらミスショットを打ちなさい」
「練習場では曲げるボールを練習しなさい」
・・・・
名言は尽きませんが、ゴルフを極めた方というのはどうしてズシリと重い言葉がポンポンと飛び出すのか?
ゴルフに限らず、その"道"を極めた方のコトバは「重く」「考えさせられる」コトバを発せられます。


 

*写真と本文は一切関係ありません。

 
             
   
             
                     
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