カナダカップ
当時無類の強さを見せていた二人、中村寅吉プロと小野光一プロ。
中村寅吉プロは1956年の日本オープン、関東オープン、読売プロとビッグタイトルを制し、
小野光一プロは55年日本オープン、日本プロ、大会1ヶ月前に行われた関東プロを圧勝
していました。
カナダカップとは現在の世界ゴルフ選手権の前身の大会であり、第5回のカナダカップには
世界30カ国、60人のプレーヤーが出場。
4日間にかけてそれは熱い戦いを繰り広げました。
大会3連覇を目指すアメリカはサム・スニードとジミー・デマレー。
スニードはベン・ホーガンと共にアメリカを代表するプレイヤーで豪快な飛距離と
華麗なスイングでゴルフファンを魅了していました。
このアメリカを脅かす存在として見られていたのは、カナダ、イングランド、そして
ゲーリー・プレイヤー率いる南アフリカでした。
対する日本の期待は、というと初参加の第2回から14位、13位、4位と回を追うごとに
成績も上昇していたので、地元の利を生かせば、アメリカの次には来れるんではないか
というだけの期待でした。
初日。
アメリカが予想通り飛び出し、136(スニード67、デマレー69)で首位にたちます。
イタリアと回った日本が5打差の141(中村68、小野73)で2位。
ついで南アフリカ、オーストラリア、カナダと続きました。
ここで小野光一プロはパットに不安を感じていました。
「中村プロの足を引っ張って申し訳ない。いろいろ考えた末にパターが悪いんじゃないか
と思って新しいのを買って1時間ばかりホテルの部屋で練習したんです。
そしたら腕を下げすぎていることに気づいて、原因が分かったらだんだん自信が
ついてきたんです。」
対する中村寅吉プロは、
「今考えると、初日の3番ホールがカナダカップ優勝の口火になったような気がします。
(開催コースとなった)霞ヶ関カントリークラブは4つの長いミドル(パー4)がある。
この4ホールをうまく切り抜けてパーを拾うには・・・と二人で秘策を練りました。
3番ではクロスバンカー横にある土手にドライバーショットをわざとぶつけて距離を
稼ぐ作戦を立てた。これがまんまと成功し、ツーオンどころかパーまで拾えた。
これでいけると思いました。」
第2日目。日本とアメリカは同組。
ドライバーを含む圧倒的な飛距離のアメリカ勢とアプローチとパットでしのぐ日本。
しかし霞ヶ関カントリーのグリーンの芝は"高麗"。
ベントグリーンと違い、芝目の強さで転がる方向が変わるこのグリーンはアメリカの
スニードを悩ませ始めました。
カップの周りでボールに急ブレーキを掛けたかと思うと、右にも左にもボールを
曲げてしまう。
日本は138でまとめ二日間合計279。
アメリカは後半スニードが乱れ、二日間合計281。
日本が2打差で首位に立ちます。
第3日目。
2日目から振り出した風雨が強くなり、南アフリカと同組で回った日本は中村67、
小野68と二人だけが60台でまとめ、通算414でアメリカに9打差をつけて独走状態に入りました。
個人でも中村プロが2位に7打差をつけて、団体・個人とも優勝が目の前に見えてきました。
最終日。
この日、イングランドと回った日本は、ドライバーで40ヤードも置いていかれながらも、
手堅く中村71、小野72でまとめ、2位のアメリカに9打差のぶっちぎりの優勝を果たしました。
個人でも中村プロが優勝、小野プロも5位に入る健闘を見せました。
このカナダカップの優勝で、世間はゴルフブームとなり、ゴルフの大衆化に火を
つけることとなりました。
忘れるなかれ、2002年に行われたEMCワールドカップでは丸山茂樹プロ、伊沢利光プロが
アメリカに競り勝ち、45年ぶりに日本にトロフィーを持ち帰ったことは記憶に新しいと
思います。
私はその前年の2001年に静岡・御殿場で開かれたEMCワールドカップを観戦しています。
そのときは丸山プロがちょっと不調で伊沢プロとかみ合わずに11位でしたが、
この二人なら次回大会はきっとやってくれると信じていました。
ショット自体はぜんぜん悪くなかったし、日本代表としての誇りもありありと
感じ取られましたから。
ワールドカップといえば、2005年、南アフリカで開かれた第1回ワールドカップ(W杯)
女子ゴルフで宮里藍プロ&北田留依プロが初代チャンピオンに輝きました。
本格的に日本人プロが海外で活躍、メジャーで勝つ日もそう遠くはないことを
感じさせてくれました。
