岡本綾子 |
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| 11. 岡本綾子〜アメリカの日本人初賞金女王 | |||||||||||||||
岡本綾子 |
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女性プロゴルファーの先駆者が樋口久子プロであれば、日本人として唯一、アメリカツアーの賞金女王に輝いているのが、「世界のアヤコ」こと、岡本綾子プロです。 岡本綾子プロは中学、高校、実業団(大和紡績)とソフトボールのピッチャーでした。1971年には国体で"エースで4番"として優勝しています。 会社を辞め、ゴルフ練習場で見よう見まねでボールを打つ生活が始まりました。 知人の紹介で大阪・池田市にある池田カンツリー倶楽部で研修生になったときには、22歳でした。 プロテストには1974年に受験。今とは違って当時は年に2回テストがあり、1回目は落ちましたが、2回目で合格。なんと池田カンツリークラブで本格的に練習を始めてから2年経っていませんでした。 1975年のデビュー戦、美津濃新人トーナメントで4位。日本女子プロでは12位。 1977年、「樋口プロ、全米女子プロ優勝!」のニュースが入ってくると、岡本プロは「アメリカのツアーに挑戦したい」と公言します。そして翌78年にはアメリカツアー予選会に挑戦しますが、あえなく予選落ち。夢は一旦遠のきますが、1981年に再挑戦。そして4位で予選を突破します。 1982年にもアメリカツアーに9試合参戦、念願の優勝を第5戦のアリゾナコパークラシックで飾りました。これで気持ちを強めた岡本綾子プロは翌年から日本を離れ(女子プロ協会に休会届けを提出)、アメリカツアーに本格参戦をします。樋口プロが10年間、4〜6月までアメリカでプレー、その後は日本でという形ではなく、アメリカにどっぷりつかる、というものでした。 1983年にはツアー2勝目。必ず最終日(日曜日)にスコアを伸ばしてくるところから「サンデー・アヤコ」と呼ばれるようになります。 1984年は初めから好調でした。4月のJアンドBプロアマ、メイフラワークラシックに優勝、10月にはイギリスで全英女子オープンに優勝。 1985年も開幕戦で2位になった後、16戦中ベストテンが6回と安定していましたが、ここ6,7年続いていた腰痛が悪化、休養を余儀なくされました。8月には第4、第5腰椎の間にパパイアから抽出したゼリー状の酵素を注入する治療を受けました。 1986年は「サンデー・アヤコ」復活の年になりました。 そして1987年。キーストンオープンで最終日に8打差をひっくり返して優勝するなど5勝をマークし、念願の賞金女王になります。
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*写真と本文は一切関係ありません。 |
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